伝 一遍上人像(当山蔵)

 伊予(愛媛県)の豪族・河野氏の出身。十歳で母と死別、十三歳の時に九州大宰府に赴き浄土宗西山派聖達(しょうだつ)に入門する。33歳信濃・善光寺に参詣、「二河白道図」を謹写して故郷へ持ち帰り、三年間の専修念仏により悟りを得る。同じく四国の岩屋寺(現・四国霊場50番札所)での参籠の後、三十七歳で遊行・賦算の旅に。
 天王寺・高野山を経て熊野に入った。そこで自分の行っている賦算が果たして正しい事なのだろうかと思いながら参籠していると熊野権現が現れ託宣を賜り「信・不信を選ばず、浄・不浄を嫌わず」の境地に入る。一所不住(一つの場所に留まらない)の行を続け一心に賦算を続けた。また、貧しい人々に手を差し伸べ、多くの人々から崇拝された。
 1289年、摂津兵庫海岸観音堂にて入滅。享年51歳。
 諡号は「証誠大師」。主な著作は無いが、上人の遊行の旅を描いた「一遍聖絵」(清浄光寺版[東京国立博物館蔵]は国宝)があり、また彼の言葉を記録したものとして「一遍上人語録」「播州問答記」がある

一遍(1239〜1289)

一遍上人像(神奈川県立歴史博物館蔵)

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