八朔施餓鬼

当山の施餓鬼会は八朔施餓鬼(はっさくせがき)の名で人々に親しまれてまいりました。「八朔」とは旧暦の
八月一日のことで、昔はこの日に新穀の豊熟を祈願する祭が行われ、「田実(たのみ)の節句」とも呼ばれました。当山は延命水が涌き、江戸末期宝永の頃には「防地の茶堂」として防地峠の番所を出入りする旅人に湯茶の接待を行っておりましたゆえ、この湯茶の接待と「田実の節句」の習わしとが重なり合い、生まれたのがこの「八朔施餓鬼会」であります。境内には所狭しと大卒塔婆・小卒塔婆が立ち並び、小さな霊供膳を数多く並べた膳棚が供えられます。そして蓮の葉に受けられた浄水を笹の葉で供ずる風情は、炎暑の夏を送り、爽涼の秋を迎える季に相応しい、詩情豊かな仏事となっております。また、この施餓鬼会でに人々によって踊られる盆踊りは尾道特有の地踊りで、当山がその伝統を受け継ぐ唯一のものとなっております。

左上:施餓鬼壇。正面に供えられた飯を餓鬼に捧げます。 右上:卒塔婆とそれに供えられた霊供膳です。

法要の様子です。中央で当山住職が祭文を読誦し、その周りには職衆(しきしゅう:法会をおこなう際に諸役をつとめる僧)と呼ばれる方おられます

施餓鬼壇での法要の後、各卒塔婆の前でお経が上げられます。

ここで踊られる盆踊りは尾道に古くから伝わる地踊りで、
当山は唯一それが踊られます。

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